北硫黄島 | |
東京から1140キロ 父島から203キロ 周囲8キロ 面積5.57m² 標高792m 明治期から太平洋戦争まで、主に母島からの移民が集落を形成していた。最盛期には220人程の住民が、石野村と西村の2集落で生活をし、サトウキビや野菜の栽培、カツオ漁が行われていた。 マリアナ文化の影響を受けていると思われる石器時代の遺跡が石野村で発見され石斧や土器などが採集されている。太平洋戦争激化のため昭和19年90人の島民が強制疎開となる。その年の7月海軍硫黄島警備隊北硫黄島派遣隊が配備された。 |
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どんな島なのか? | |
2008年2009年2010年と3年連続調査に同行 | |
出発前クリーン ルームを設置 |
虫などの侵入を 防ぐため目張り をし隙間をなくす |
クリーンルームで個人装備他の梱包 |
とにかく、水が重要!! |
2008年は山頂までのアタック |
懸垂下降の練習を再び |
漁船に荷物を搬入 |
お守りも 忘れずに!! |
夜の二見漁港から 出発南硫黄に 比べると小規模 |
自分も、出発前は 元気いっぱい!! |
隊員と夕食 |
翌日早朝には 北硫黄島沖 |
南硫黄島とは 風貌が違う |
それでも やっぱり、急峻 |
上陸して早速標高 200付近に第一 幕営地? |
夜の 北硫黄島 |
翌日更に登り標高700付近にはイオウノボタン満開 |
南硫黄島のものとは色が全く違い『濃い』 |
第二幕営地には ガクアジサイが 満開 |
この島にも エダウチ ムニンヘゴが沢山 |
山頂付近から 眺めると標高 700メートル 付近は三万坪と 言われる平坦な 地形が一望 |
三万坪の 端っこは、 海面まで 垂直な断崖絶壁 |
海上から見た 三万坪 |
三万坪方面の 北硫黄島 |
小笠原固有トンボ 『シマアカネ』 南硫黄と違い 水があるからか? |
『あかぽっぽ』は この島にもいた 小笠原群島 火山列島に生息 |
ムラサキ オカヤドカリは 沢山いました |
こんなヤドカリ にも遭遇、 かなりごっつ オオトゲ オカヤドカリか? |
一部の海岸付近にはサキシマオカヤドカリが多い |
山にはやっぱりマイマイが、どうやって来るのか? |
限られた海岸付近 にはアカオ ネッタイチョウが 繁殖している |
カツオドリも 多いが山を登って いくと他の海鳥に 出会わない。 南硫黄島との 大きな違い。 |
人の定住のある島 タバコの花が 咲いていた |
バナナも多く 所どころで実を 付けている |
気がつくと頭上にオガサワラ オオコウモリが |
よく観ると子供を抱っこしていた |
2010年 サキシマ オカヤドカリが 多かった浜へ 行ってみたが、 数が少なかった。 |
こんな、サザエの 殻が多く 見られた。 |
人の定住の歴史のある島には、南硫黄島と違い多くのネズミが生息している。きっとこのサザエの殻もネズミにより開けられた穴でしょうか? 海鳥が山にいないのもその影響かもしれません。 |
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北硫黄島には リーフがあります |
海岸の キャンプサイト 日中はとにかく 暑い!! |
見る角度により形が全く違う | |
夕方からは 快適に過ごせます |
綺麗だったですね |
遥か彼方に、南の島よりやって来た 人々は何処へ行ったのだろう。 その後明治期に日本本土から (母島から)どうして、 こんな厳しい自然の島に 移り住んだのか? そして太平洋戦争はこんな 小さな島までも、変えてしまった |